シネマ座の怪人

映画館に住みたい

『ゴッホ』を見た話

私が初めてゴッホの作品を見たのは、忘れもしない、大学3回生の7月。まだ夏休みに入っていない大学をサボり、あろうことか父と2人でニューヨークに出かけた時のことだ。

ニューヨークはメトロポリタン美術館
そこには沢山の名画が並んでいた。

意外なことに、父は存外、絵画に詳しかった。いつも私を美術館や博物館へ連れまわすのは、祖母や母の役割で、父と美術館に行った記憶がなかったので、これにはとても驚いた。

クリムト、モネ、マネ、スーラ、ダリ。

歩みを進めると、教科書で見た程度、名前を聞いた程度の作家の作品が次々に現れた。

その中で、ひときわ私の目を引いたのがゴッホ「糸杉のある麦畑」(Wheat Field with Cypresses) だった。

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うねる雲、波打つ麦。ざわざわという杉の音まで聞こえてくるかのようだった。こんな文章を書いてしまうと、陳腐で、いかにも後から作った美談のように思われるかもしれないが、油絵の具の筆の流れが生み出す陰影には、教科書の写真からは感じることのできない、力強さがあった。

それまで父の後ろに付いて、ぶらぶらと館内を歩いていた私だったが、私はその部屋から離れることがとても惜しく感じられた。

作品と私たちの距離はとても近かった。

作品の周りに柵は無く、人々は思い思いに近づいて、眺め、写真を撮り、立ち去った。先ほどの写真も、私が当時、自ら撮った写真だ。

私は次第に悔しくもなって来た。どうして自分はこうも面白く絵を描けなかったのか。これまで私はそつなく淡々と、カンバスに風景を写していただけだった。そこに、作者独自の視線は無かった。「いずれ失われる風景」をわざわざ選んで描いてはいたので、「作者の想い」がまったく無かった訳では無いが、特にそれ以上の想いはなく、部屋にかけてもつまらない、ぼんやりとした絵が出来上がった。

念のために申し上げるが、見たものをそのまま写す、写実主義が面白くない、と言う話ではない。ただ「自分は自分にあったやり方で、もっと自由に楽しく絵を描いても良かったのではないか」と思うのだ。その、自由で楽しく、という憧れにピタリとハマったのが、ゴッホだったのだ。

それもこれも美術の授業のカリキュラムがどこもかしこも均一的であることの弊害と言う事にしてやろう。そこそこ器用なので見たままを描いた絵はそこそこに評価されたが、成績表のすました点より面白いものもあったのではないか。この時になって、もっと自由に遊んでもよい、と教えてくれる人に出会えなかった事が、本当に残念で、悔しく思えたのだ。今思うに、美術の授業というのは、まとまった時間で絵画と向き合える、それはもう貴重な時間だったのだ

ゴッホにもっと早くに出会いたかった。

ゴッホゴッホなりにそれはもう色々と、苦労して、苦労して、絵を生み出して来たであろうから、こんな一方的な想いは、向こうにしてみれば「ワシのしったこっちゃない」という話であろうが、私はとにかくゴッホと言う奴が好きになった

 

そう言う訳で、並々ならぬ片想いを募らせていた事もあり、ゴッホ 最期の手紙には、大変、心を打たれた。

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その絵画による表現手法もさることながら、物語構成がとても素晴らしかった。ある男が、父親の友人であるゴッホの手紙をその宛先に届ける道すがら、彼の死の真相を追う、という形で、飽きのないサスペンス仕立てとなっているのだが、行く先々で得られる証言は、バラバラで辻褄が合わないながらも、彼と生きた人々の「感情」を追体験する事ができ、不思議な事に、自然と彼を偲んでしまうのだ。こちらは彼のことなど、これっぽっちも知らないというのにね。

表現手法に関しても、色々と仕掛けがあって、とても面白いので、そこはあえて語らないでおこう。

 

さて、最後にオマケ話をひとつ。大学をサボってニューヨークに行ったと冒頭で話したが、私はすっかり日付変更線の存在を忘れ、帰国日を1日間違えるというポカをやらかした。となると、大学の授業補佐バイトに出られない。ところが気づいたのは授業が始まる数時間前。もはや、今更、帰り道。アメリカ出国直後に気付き、大慌てするも、時すでに遅し。

 

「今、アメリカにいます」

 

バイトの相方のX君、その節はすまなかった。