シネマ座の怪人

映画館に住みたい

『ラ・ラ・ランド』が提示する並行世界と我々の現実

注:作品の内容に触れています

 

まったく、恐ろしい作品が出て来たものです。

 

この作品に何かしら心揺さぶられた方は、おそらく、一度は次のことを考えたでしょう。

 

「一体、どうなる結末が本当に幸せだったのか?」

 

ライアン・ゴズリング演じるセブが、劇中最後の演奏の中に「並行世界」、しかもシナリオが分岐するゲームに例えるならば「Trueエンド」に当たる結末を提示したことで、観客は嫌でもこの疑問を持ち、他の展開まで考えさせられるようになっています。

2人とも夢を叶えるが離れてしまう結末、
夢が叶わなくても2人一緒になる結末、
1人がもう1人を支え片方だけが夢を叶える結末、
2人とも夢破れて別れる結末もありえたでしょう。

映画なのだから、2人とも夢を叶えて、2人一緒に幸せになれば良いのに、という意見もわかります。しかしそれでは、ここまで人の心に爪痕を残しはしなかったでしょう。大円団ではこうした「別のシナリオ」に思いを馳せないからです。その点、トドメのセブのピアノは"上手い"。

私たちもまた、映画を観終わったとき、つまり、夢から覚めた時、ふと、自らの人生を振り返り「別のシナリオ」を思うわけです。

それは恋愛に限らず、時には受験や仕事、家族にまつわる選択であったりもするでしょう。

…ただ、作品の話に戻ると、2人が別れたからと言って、過ごした時間は全くもって無駄ではなく、むしろあの時間があったからこそ互いに夢をつかむ事ができている、という点は見過ごせません。

あらゆる人生経験は、時にそれが失敗であるように見えても、きっと無駄にはならないのです。問題は、戻せない時間や後悔を、どう受け止めて消化するかです。それによって、人は成長もするし、転落もする。

ここまでを踏まえると、この「私たちが見るエンディング」は、やはり「ハッピーエンド寄りのルートの一つ」と言えるでしょう。あるいは"妥協点"と受け取ることもできますが、少なくとも泣きながら掴み合いの喧嘩をしたり、相手の事を恨みに思ってナイフで刺すような事にはならないので、バッドエンドではないでしょう。

 

余談ですが、公開直後、この監督の若さゆえの感覚が敬遠されている風潮も見かけましたが、これはむしろ、監督の感性が若いからこそ作れる映画で、それこそが魅力なのだと思っております。

はっきりいうなら、スピルバーグじいちゃんにはもう『未知との遭遇』は撮れないんですよ。『ジョーズ』や『E.T.』ではなく、『戦火の馬』に『ブリッジ・オブ・スパイ』なんですよ。ダメだと言っているのではありません。その歳でしか作れない作品がそれぞれにあるのだと言いたいのです。

だからこそ、この諸刃の剣のような尖った感性は、今、大切にされるべきで、この映画を作るために沢山の人が動き、こうして日の目を浴びるに至ったという事が、わたしの目にはとても美しく映るのです。

 

※こちらは映画公開直後に書き、privatterにて公開していた文章を修正し、再掲したものです。

written by シネマ座 2017.03.06 edited 2017.08.02